2025年


ーーー10/7−−−  現実逃避の曲


 
だいぶ前に購入した外国版のチャランゴの教則本。スペイン語と英語が併記なのだが、これを使っての演奏技法の練習はほとんどやっていない。その代わりと言っては何だが、後半に付いている曲集の中のある曲が気に入り、その曲の練習だけは繰り返し行って来た。教則本に書いてあるアドレスから、音源がダウンロードでき、それを手本にして練習をするのである。難しい曲であるが、長い時間をかけて、なんとか人前で演奏できるくらいにはなった。その曲と出会うことが出来ただけでも、この教則本を購入した甲斐はあったと思っている。曲の名は Khespi?a 。

 その曲名が何を意味するのか、長らく謎だった。ネットの翻訳サイトで調べても、答えが見付からなかった。ライブで演奏をする時、曲の紹介をしたりするのだが、この曲に関しては、何とも言い様が無い。「ひょっとしたら固有名詞ですかね、女性の名前で、ケスピーナちゃんとか」などと冗談を言って誤魔化したものだった。

 それが最近になって、ふとした事から答えが見付かった。外国のサイトに、この曲の解説が載っていたのである。ネット翻訳で日本語に変換したら、以下のような意味だった。ちなみに読みはケスピーナではなくヘスピナ、アイマラ語とのこと。

 「ヘスピナとは、現実逃避を試み、海と夜に身を寄せる行為。一時的な差し迫った危険から逃れ、隠れたいという願望や必要性、現実逃避を表す」

 こんな意味を持った言葉が題名になっている曲とはいかなるものか、興味を覚えた方は、下記のサイトで聴いてもらいたい。

 https://www.youtube.com/watch?v=7uxZnKGoJHs

 作曲者 Hector Soto 本人による演奏である。




ーーー10/14−−−  また、コロナ


 
先週の月曜日(10月6日)の午前、カミさんが近くの医院へ行ったら、コロナに感染していることが分かった。その数日前から体調を崩し、咳がひどく、熱も38度台まで上がったので、医者にみてもらうことにしたら、この結末。

 リンゴ農園の昼休みに、電話でそれを知らされた私。診察した医師は、これまでの経緯を考えると、私もほぼ間違いなく感染しているだろうと言ったそうな。これまでの経緯とは、10月3日の農園作業の際に、咳がひどく、悪寒、倦怠感があり、夜には37.5度の熱があったこと。その時点で私が発症していて、それがカミさんにうつったのだろうと。

 確かに私は、10月に入ってから体調がすぐれなかったが、それは花粉症が始まったのだと思っていた。これまで何度も経験した花粉症の症状に、似ていたからである。発熱も、この程度ならありうるし、翌日には平熱になったので、花粉症を疑わなかった。

 電話の直後、農園のオーナーに事情を話し、仕事を離脱した。車で帰宅する道すがら、大きな挫折感を覚えた。

 発熱から十日間は、他人にうつす恐れがあるので、行動を自粛するようにと、医師から言われたそうな。と言うことは、あと一週間ほどは要注意である。その間、リンゴ農園の仕事に行けない。8日に予定していた燕山荘への訪問もキャンセル。来る日曜礼拝の司式が私の番になっていたが、それも辞退。クリスマスまで残り少ない聖歌隊の練習も欠席。多くの方に迷惑をかける事になった。

 カミさんの話では、医院は凄く混んでいて、受付をしてから1時間後に出直したそうである。他に、コロナと診断された患者もいたらしい。まだまだコロナは健在なのである。

 十日間の自粛は、他人にうつす恐れがあることと同時に、本人の症状が悪化する恐れもあるからと。症状は個人によって差があり、現状の我が家の場合は、カミさんが重く、私が軽いが、その私も無理な事をすればどうなるか分からない。登山などもっての外だろう。発熱した前の日に、裏山トレーニングを予定していたが、ひどく体が重い感じがしたので断念した。それは正しい判断だったと思う。

 ところで、思いもしなかったコロナ感染で、突然一週間の自由時間ができた。この事態にならなければ、当分の間、毎日リンゴ農園へ通うことになっていたのである。もちろん遊びに行く事はできないし、行動に制限もある。しかし、私は症状がほぼ消えているので、自宅での生活は普通にできる。この際、普段やろうと思っても出来なかったことをしようと思った。

 それで、工房の片付け、清掃をすることにした。これは良い思い付きである。

 夏に来た次女の婿殿が、次女にこっそり言ったところによると、「お義父さんの仕事場、ちゃと片付けた方が良いと思うけど…」。彼は重工業メーカーの工事部門で働いていて、日頃「整理整頓」を指導する立場である。作業環境を整えるのは、作業の能率の面で、また安全の面でも重要な事である。それは重々分っているが、なかなか実行に移せないのが現実である。

 今回は十分に時間があるので、かなり徹底的にやろうと思う。数日はかかるだろう。




ーーー10/21−−−  カタログギフトの有効期限


 
仕事机の周囲を片付けていたら、箱に入ったカタログギフトのカタログが見付かった。6月に亡くなった親戚の香典返しで送られてきたものだと思い出した。

 ページをめくって見たら、折り目の付いたところが数か所あった。カミさんが候補を選んで印したものだろう。しかし、巻末に折り込まれた申し込み用紙は、手付かずだった。つまり、まだ申し込んではいない。用紙を見たら、「申し込み期限はお受け取り日より3ヶ月以内」と書いてあった。カタログを手にしてから、もう3ヶ月以上経っているから、期限切れである。これは、迂闊だった、勿体無い事をしたと思った。

 くよくよ考えても仕方ない。スッパリと諦めることにした。しかし、しばらくして「ちょっと待てよ」と思った。「お受け取り日」というのが、なんだか曖昧である。受け取る日など、ケースバイケースだろう。葬儀の場で受け取ることもあれば、後日郵送する事もある。遺族が訪ねて行って手渡しということもあるだろう。期限を厳密に管理するなら、具体的な日付を記するはずである。何月何日と書くか、発効日を明記してそれから3ヶ月以内とか。

 ダメもとで申し込んでみることにした。こうなれば、一刻の猶予も許されない。即断でワインのセットを選び、直ちにネットで申し込んだ。郵送では時間が掛かるからである。4ヶ月の間のんびりしていたのに、こういう段となればアクションは早い。

 すぐに先方からメールが入り、申し込みを受け付けたとの連絡が来た。そして三日後には、商品が届いた。ダメもとが、嬉しい結末になった。

 事のついでに、カタログギフトの有効期限について、ネットで調べてみた。有効期限は、業者によってまちまちだが、6ヶ月を超える設定の場合は、関連する法律の定めにより、期限を過ぎたら無効となるらしい。一方、今回のように有効期限が6ヶ月以内のケースでは、期限が過ぎても利用できることがあり、それは業者によるとのことだった。

 有効期限が切れている場合は、まず当該業者に連絡をして、相談するのが良いとも書いてあった。と言うのは、商品によっては、期限が過ぎると外される物もあるので、希望する商品が入手可能かどうかも含めて、問い合わせるのが好ましいとの説明だった。




ーーー10/28−−−   最初から面白い事など無い


 
19年前に86歳で亡くなった父は、東京の日本橋界隈で生まれ育ったいわゆる江戸っ子だったが、チャキチャキした感じは無く、むしろあまり喋らない性格だった。信州に越してから、私の運転で東京まで二人で出掛けた事があったが、助手席の父は道中一言も話をしなかったくらいであった。まあ、あの世代の父親と言うのは、子供と親密な会話を持つような事は無かったのだろうと思う。それに比べると、私は子供たちとよく会話をした。この歳になっても、どうでも良い事から難しい話まで、けっこうお喋りをする。一世代違うだけで、ずいぶん親子関係も変わったものだと思うが、これも社会の変化の一端であろうか。

 そのような父だったから、説教じみたことは言わなかったし、また相談に乗って貰うということもほとんど無かった。それでも、教訓めいた発言が、一つだけ記憶に残っている。それは、「最初から面白い事など無い」であった。

 たぶん部活に関する事だったから、中学生の頃か。練習が少しも面白くないとこぼした私に、父が言った言葉であった。その真意は、物事は手を染め初めた頃は、なかなか思うように出来ないものだし、また単調な基礎練習の繰り返しでうんざりする事もある。だから、面白くないのは当たり前のこと。それを我慢して続けて行くうちに、出来なかった事が出来るようになり、知らなかった事を知るようになり、面白さが分かるようになるものだ、と言うような事だったと思われる。言われてみれば当然の事だが、その頃の私には、何だかすごく新鮮な印象を与えられた言葉であった。

 その有り難い言葉を素直に受け止めて、その後の人生を有意義に過ごしたかと言えば、そうでも無い。いろんな事に手を出しては、すぐに飽きて止めてしまうということを繰り返してきた。

 ところが、最近になって、この言葉の意味を深く感じるようになった。既に身に付いている趣味の事を考えると、たしかに長年に渡って続けたおかげで、面白さが分かるようになり、また遣り甲斐を感じるようになったのである。

 それらの趣味も、やり始めの頃は面白みを感じなかったのだと思う。なのに、何故続けて来られたのか。泡のように現れては消えて行った幾多の事柄の中で、何故生き残ってこられたのか。それは謎である。自分でも良く分からないが、何か惹きつけられるものがあったのかも知れない。それにしても、登山、スキー、ヨット、南米楽器の演奏、蕎麦打ち、百人一首、マツタケ、などの趣味に、共通して惹きつけるものがあるのだろうか?